わかち合いの会参加者の声

わかち合いの会参加者の声

「ゆきげ」では、大切な方を亡くされた方の悲嘆(グリーフ)のサポートに取り組んでおります。
いつも一緒にいるのがあたり前であった、ご家族・大切な方を失う悲しみは誰にとっても辛く、それを受け入れることは容易ではありません。
「わかち合いの会」は、「大切な存在を喪った今の想いを素直に言葉にし、参加された方とわかち合うことで気持ちの折り合いをつけられるような会を開催したい」との想いで、ゆきげでは2か月に1回開催、3回連続参加で「卒業」を基本プログラムとしております。
わかち合いの会に参加された方の多くが、同じ体験をされた方々の話をお聞きになり、「自分だけが辛いわけではない。自分だけが特殊なわけではない」ということに救われたとおっしゃいます。
以下に、わかち合いの会にご参加された方々より頂きましたお手紙を紹介させていただきます。

お手紙-1-

当初は、楽しい想い出と、本人の体調の変化に気付かなかった自分を責め、不運を嘆いてばかりいました。
しかし、月日が経つにつれ主人の誠実さ優しさに気付かず、如何に相手を傷つけ感謝を忘れたごう慢な自分に愕然としました。
日々の生活の中で一番大事な「命あってこそ」ということ!壮絶な痛みと苦しみに加えて、寂しい思いをさせたということ悔やまれてなりません。唯、強い痛みから解放されたのだと自分自身に言い聞かせています。
主人とよく散策した遊歩道のせせらぎで、いつも会っていた1羽のサギ、今私は語りかけます。「お前も1人なのね」つれは?はぐれたの?それとも・・・・
 帰っては来ない現実を受け入れるしかどうしようもないと自分に言い聞かせ、共に仕事の合間に楽しんだ「東京ぶらり」と、これからやろうと言っていた「横浜ぶらり」を心の中の主人に語りかけながら、残り少ない人生を楽しいことを捜してチケットショップや書店をのぞきみながら、足腰の許す限り情報収集につとめ生きて行こうかなと思う今日この頃です。楽しい人と楽しい時間を、そして1人の時でもきまゝに。

(60代女性・2007年12月ゆきげ葬利用)

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お手紙-2-

ドナーである最愛の夫を亡くして5ヶ月が過ぎました。夫は昨年暮れに風邪引き後、肺炎となり、又免疫力が落ちた為か、右腹部から右腰部にかけ、痛みの強い帯状疱疹が出たりし、体調をくずし、医者にかかりながら、自宅療養をしていましたが、今年2月26日 早朝入院、翌2月27日午前3時04分、病院からの連絡でかけつけるも間に合わず、突然1人で旅立ってしまいました。

私は若い頃より風邪を引きやすかったと思います。40才後半、風邪と共に高熱を出し、これが引き金となったのか、軽度の血尿と蛋白尿が続き、再び、50才後半には、高熱と風邪症状が出、その後は急速に、腎臓検査値が悪くなり、尿毒症の症状が強く出て、病院、診療後、即入院となりました。入院時、担当医から、私と家族に透析治療しなければ、生命維持が出来ないと説明されました。
入院2日目の面会に来た夫は「オレの腎臓を1ツやる」と話しました。が、5〜6年前より夫は不整脈があり、通院、服薬もしていたので、そんな事したら、死んでしまうと私は思い拒否しましたが、夫のとても強い信念に移植の道を選ぶ事にしました。この時夫69才 私60才、ドナー移植者としては高齢でした。後で子供達に聞いた所、夫は透析治療の方法の他に、何かないかと一生懸命、本とインターネットで調べたそうです。

平成17年5月に夫からの生体腎移植を受け、手術成功、大きなトラブルなく、副作用なく、退院出来ました。私は、日増しに元気になり、感謝、感謝の毎日でした。移植後2年目に2人共の希望だった、スイスにも行くことが出来、この時は夫の不整脈も出なく、毎日天候に恵まれ、すばらしい旅でした。
2月27日に亡くなり、3月2日に告別式してから、日まだ浅く悲しみの中にいます。

 子供達3人もそれぞれ所帯を持ち、夫と2人生活をしていましたから、今まで寝込んでいたわけでもなく私と一緒にいた人が、急にいなくなった事は、悲しくて、悲しくて、どう表現していゝかわからないです。たゞ悲しく、淋しく、つらく、むなしくて、心の支えを失い、夢も希望もなくなり、特に夕暮れ時から夜にかけて、雨の日、曇りの日等は、さらにこの気持ちが強くなり、さけびたい気持ちになった事もあります。食べ物も美味しくないし、ねむれないし、体重もぐーんと落ちてしまいました。
だけど私には趣味で、お世話になっている先生が、忙しいのに何回か来宅してくれたり、電話してくれたりし、泣きながら話す私の話を、じっと聞いてくれたりした事も、夫の死別からの悲しみに心のほんの小さなすき間に光が入って来た様に思います。本当に幸せだなーと、又感謝の気持ちで、いっぱいです。
まだ、誰れにも、つらい胸の内を話していらっしゃらない方がいたなら、是非、同じ体験をした人達の仲間に入って、思いを話した方がよいのではないかと思いました。体験した人だけにわかる悲しみです。死別は、とても悲しく、つらく、私は配偶者でもあり、ドナーでもあり突然の別れでしたので、この悲しみ、苦しさは私が生きている間は続くのではないかと思います。しかし、時間の経過と共に悲しみの変化がある様に思えました。何故なら、例をあげますと、夫の死別直前に、移植をした事を知っている親しくしている友人より「がんばってね。あまり悲しんで泣いてばかりいると、あなたの身体の中に御主人がいるんでしょう。悲しむよー」と言われた時には、すごく落ち込んでしまいました。私の事を思ってくれて話したつもりも、その時の状況で受ける側もずいぶん違ってきます。先日も、外で会った時等、「あら、元気ねー。よかったわ」と話してくれた時、私も素直に聞く事が出来ました。この様に、ほんの少しですが、気持ちの変化に気付きました。会に参加した方々は、皆深い悲しみを持っている人達ですが、悲しみの型も、色々あるんだなーと。又、死別した人との、生前のかゝわり方で、悲しみの型も異なる様に思いました。もし次回、会に参加出来たら、他の人の話を静かに聞く事が出来る様な気がします。それでも夫の遺影に泣きながら話かける毎日ですが、やっぱり前向きに生きていかなければと思う今日この頃です。       

(60代女性・2009年2月ゆきげ葬利用)

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お手紙-3-

主人は脳幹出血をおこし、三年二ヶ月の闘病生活のすえ、五十四才という若さでこの世を去って逝ってしまいました。
主人の最後の花道・・・祭壇は、「お花一杯で送ってあげたい」そんな想いでいました。
葬儀の相談の時、何げなく、夫は釣りが大好きだったと話した所、「祭壇は海をイメージして作りましょう」と言って下さいました。沢山のお花に囲まれた主人、海の中にいるように思いました。夫らしい葬儀を出す事が出来ました。
葬儀に参列して頂いた方達にも、心のこもった葬儀でしたねと言われます。

私自身も夫を想った通りの葬儀で送れた事が、一周忌も過ぎましたが、今もなお心に深く残っております。
しかし、主人の亡き後、家族は今それぞれの道へと、私は家に一人取り残されてしまいました。
夫を亡くした悲しさ、苦しさはいっそうに重く私にのしかかり、どう立ち上がれば良いのか、分からなくなっていきました。
あじわってみないと分からない心の痛み。子供達に心配掛けまいと、一度も涙を見せませんでした。家の中にとじこもり、毎日をもんもんと過ごし、死ばかりを思い詰めておりました。

そんな時、雪わり草と書いた文字、目に止まり、迷いながら心は不安でしたが電話を手に取り掛けてみました。すると、自分で想像していた事とまるで異なり、暖かい声が聞えて来ました。私達の心のヒメイをやさしく対応して下さいました。
主人を亡くし、心の空洞、心げない言葉などに本当に苦しい辛い毎日を過ごしておりました。
そんな事をお話している私。ようやく自分の苦しさ、辛さなどをわかって頂ける人に会えたと心が少しずつ安らげるような気持ちに 萎縮していた心が、会に出席するたびに和らいでいくのを感じました。
皆様の苦しい心、辛い気持を聞いて、私だけでは無いのだと思えるようになれたのです。主人を亡くしてから、うつ病に取りつかれてしまったのです。
それは会に出席してからも最初の内ははずかしい事とふせておきました。何度か会は開かれましたが、出席したい気持はあるのですが、目まい、嘔吐、頭痛に悩まされ、又家の中にとじこもり。しかし私の担当の川嶋さんが、いつもやさしく問い掛けて下さるのです。会に出席できない私に電話を下さり、苦しい心、心のやり場が無い私を慰めて下さったり又、はげまして下さるのです。

今 私はあの時川嶋さんと出会っていなかったら!
主人に先立たれ、一人になった孤独、うつ病になってしまった。苦しみ、悲しみ、孤独に、今の私はこの世にはいなかったのではと思っております。
かなうものなら、もう一度夫に会い、色々な事を話したいと思う様になりました。
川嶋さんとつながるたった一本の電話で、私の命をすくって頂きました。
そして今は少なかれ私は夫の生きていたかった分まで生きなければと思うよう担って来ました。
どうしたら主人のそばに逝けるの!という気持ちもなくなり、今はうつ病とも向き合っています。
三回忌までにはお墓も作り直しと目標が持てるようになりました。
私が死んだら主人の供養は誰がと、自分に問い掛けております。

まだまだ大波の日、小波の日も心は不安定ですが、主人が大事にしていたペット(チワワ)を大切に育てています。最後の言葉がバードに会いたいでした。
今を持って、まだまだ辛い悲しい淋しい日々ですが、主人との思い出、今を持って主人の葬儀は伝説の様に皆様に伝わり残っている事を心に留めて、川嶋さん始めスタッフの方々、お友達に支えられ今日まで来ました。
ゆきげで葬儀が出来た事、会に出席し皆様に出会え、夫が導いてくれたんだと感謝して毎日を送っております。
もう少し会に出、皆様の心を聞いてみたいと思っております。
本当にありがとうございます。心よりお礼申し上げます。

(50代女性・2008年7月ゆきげ葬利用)

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お手紙-4-

「ゆきげ 雪わり草」主催の「わかちあいの会」は2008年10月に第1回が開催され、その後2009年1月と3月に第2回、第3回が開催され、いずれの会にも喜んで参加させてもらいました。       
私は昨年の8月に妻を亡くしました。病気が発覚し、入院して43日目という余りにも早い死に直面し、大きなショックを受けました。葬儀を終え一段落すると大きな悲しみと寂しさが襲ってきました。2ヶ月前にはあんなに元気だったのに、どうして急にこんな事になってしまったのだろうかとか、いろいろ後悔と自責の念にさいなまれました。そして気分が落ち込み、無気力感、虚無感に支配され、何をしていても、時と所をかまわず、故人の記憶が現れて、ふいに悲しみに襲われ涙することが多いのです。一年が経過した現在も寂しさと孤独感は和らぐことはなく、妻への「思慕」の念が以前より一層強くなったように思います。まさしく「うつ」的症状が続いているのです。
このような状況の中で、雪わり草のほっとラインを通して話しを聞いてもらえることで、どれだけ心が癒されたか知れません。家族や親しい友人にも話せない自分の悩みや心境を聞いてもらい本当に助かっております。又そうした中で、わかちあいの会の案内を頂き、参加した訳ですが、正直いって最初は多少戸惑いました。
1対1の相談会ならいざ知らず、他の人が参加している席で、自分の気持ちをどれだけ素直に話すことが出来るだろうか。又他の人の話を聴いてみて、どれだけ自分の心の癒しに役立つことが出来るだろうとかの不安な気持ちで臨みました。当日は少人数の参加者で橋爪先生の進行のもと、参加者1人1人が順番に「自分と故人」とのことや、「自分と遺された家族」との関係について、自分の悩みや気持ちを正直に打ち明け、それに対して先生が感想を述べ、アドバイスするというやり方でした。
参加者1人1人の状況が異なる為に悲しみや寂しさも一様ではないが、私は自分の場合と照らし合わせて考えながら聴き、納得のいくことも多く、つい涙が出て仕方ありませんでした。自分も思い切って心境を語りました。どれだけ自分の気持ちを伝えることが出来たか定かではありませんが、話した後は気分が非常にすっきりし、大きな安らぎを得ました。本当にいい会でした。

第2回、第3回も同じ進め方でしたが、各自が前回以上に夫々の苦しんでいる胸の内をさらけ出し話しました。それは恐らく第1回の経験で、参加者の気持ちの中に、ここの居る人達は例え状況は違っても「大切な人との死別」という共通の悲しい体験をした人の集まりだから、本音で何をしゃべっても、何も恥かしいことはないとの意識が共有化されていたせいだと思います。辛い想いをしているのは自分だけではない。表面には出していないが、皆が夫々の苦悩を抱えて必死に生きていることを改めて思い、大きな勇気をもらいました。

夫を亡くした後、残された子供達との関係がうまくいってない悩みを持ち苦しんでいる方が意外に多いことは多少驚きました。私は、妻との問題について更に踏み込んで自分の苦しい心情を率直に話しました。看病の期間が余りにも短すぎ、妻と充分な会話が出来ないまま逝ってしまったことが悔やまれてならない。例え病床に居て、看病の苦労が多くなったとしても、もう少し長く生きていて欲しかった。そして妻ともっともっと会話をしたかった事などを中心に話しました。

3回のわかちあいの会を通して感じたことは、参加者夫々の悩みに対し、一概にこうした方がよいという明快な回答は先生から得られなかった様に思います。私自身もこの精神的に不安定な苦しい状態から一刻も早く脱出したいとの思いが強く、その解決策を得たく、先生からのアドバイスを期待しましたが、そういう点では多少消化不良の感がありました。結局は先生が最後に総括したように、この会の目的は参加者1人1人が自分の経験や気持ちを話すことにより、自分の心の「今」の状態を見つめ、悲しみは悲しみとして受け入れ、それを無理に解決しようとするのではなく、悲しみと折り合いをつけることだと気付くことで、少しでも心を癒し、明日への希望を見い出すことだと思います。
ある心理学者はこう述べています。大切な人を亡くした時、この悲嘆(グリーフ)を克服するための課題の一つに「喪った人を忘れるのではなく、心の中や仏壇など自分なりに新しい居場所を作ること」だと。そして「悲嘆を完全に避けることは難しいが少しでも和らげるために出来ることはある」とも言っています。

ゆきげのほっとコール、ほっとラインもわかちあいの会もその一つだと思います。今回わかちあいの会に参加した皆さんの話を聴いて見ても、悲嘆の症状も様々で、うつ病になり病院に行き、抗うつ剤の助けを借りた人もいれば睡眠障害になり睡眠薬の世話になっている人もおり、この悲嘆を癒すには大変な努力と長い年月がかかるものだと思いました。
私も橋爪先生から余り焦らず少しずつ進みなさいとアドバイスされたことが印象深く残っています。又この傷を癒すには勿論自分自身の努力も必要だが今回の様な企画の力を借り、体験を分かち合うことも必要だとつくづく思いました。

(70代男性・2008年8月ゆきげ葬利用)

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お手紙-5-

主人を亡くし、三年近く経ち、毎日涙することはなくなりましたが、悲しみの深さは少しも変わりません。でも、時が経つと家族や友人にさえ辛い気持ちを話すのが何となくはばかれるようになって来ました。
 この会に出て、同じ悲しみを経験した者でないと分かち合えない気持ちを分かち合え、自分の想いも存分に聞いていただけ、共感を得、共に涙し、本当に有意義な時間を過ごすことが出来ました。
暖かく支えて下さったスタッフの皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。可能なら、この会を定期的に開いていただければと思います。

(50代女性・2006年10月ゆきげ葬利用)

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お手紙-6-

まず、「ゆきげ」様が、「ほっとコール」や「わかち合いの会」等と、あとあとまで気遣って下さったことに、心から感謝申し上げます。葬儀が終わり、お返しが済んだら、それでおしまいがふつうですが、何年たっても、お心にかけて頂いて、皆様のやさしさに、どれほど慰められ、癒されてかわかりません。
私はたった一人の息子の交通事故死と夫の死を続けて経験致しましたが、あまりにも突然な子供の死は、とても辛いことでした。それでも夫と二人互いに支え合って生きてきましたが、とうとう夫とも別れの時がきてしまいました。
夫は肺ガンで入院していましたが、肝性脳症のため、パニック状態になり、体を拘束されて、わからない意識の中でも、ひどく自尊心が傷つけられたようでした。このままでは治療の効果もなく、もったとしても二週間と医師から告げられ、私は家で看取ることに決めました。
点滴と排尿ドレーンにつながれていた夫が、家に帰って安心したのでしょうか、表情もやわらぎ、食事がとれるようにもなりました。
老々介護ですので、思うようにならないこともありましたが、訪問診療の先生や看護師さんの支えで、夫の命の質は、最期まで保つことが出来たと思って居ります。退院から四ヶ月、夢中で過ごしてきましたが、自分自身も夫に支えられていたことに、拠所を失った寂しさはどうしようもありませんでした。
そんな中で「わかち合いの会」にお誘い頂いて出席した時、スタッフの方が終始寄り添うように話を聞いて下さったことは、本当にうれしゅうございました。悲しみの中にある時、結論や助言は無用でした。ただ聞いてほしかったという思いが致しました。
こちらの一方的な話を聞かされるスタッフの方々の忍耐と寛容さを思うと、申し訳なさでいっぱいですが、どうぞ皆様も呉々もご自愛なさって、お過ごし下さいますように・・・心から感謝をこめて

(70代女性・2005年10月ゆきげ葬利用)

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